傘を貸す女
その雨の夜、傘を忘れた私は急ぎ足で帰路を進んでいました。裏通りはかつては賑わいを見せていたかもしれないが、今は廃れた店舗が軒を連ね、閉ざされたシャッターが並ぶ寂れた光景でした。街灯の光はぼんやりと道を照らすのがやっとで、雨に濡れたアスファルトは水たまりが所々にあり、不気味に光っていました。
私がその女性との出会ったのは突然でした。急に、ふとした気配に足を止め振り返ると、黒い傘をさした女性がじっとこちらを見ています。彼女の姿はまるで幽霊のようでした。黒い傘の下から見えるはずの彼女の顔が、どういうわけか一切見えないのです。それはまるで霧に包まれたかのようで、どこか悲しげな雰囲気を漂わせていました。
気味悪く思いながらも、「こんばんは」と軽く声をかけると、女性は何も言わず、ゆっくりと二つある傘のうち一つを私に差し出しました。傘を共にさすことで、雨から守ってくれるのだろうか。彼女は一言も発せず、ただ私を前に進むよう促しました。
そこから無言のまましばらく歩き続けました。この女性は一体何者なんだろう…不安と好奇心が入り混じる心境の中で、その女性の正体や目的が気になりつつも、何も聞けずにいました。そして、ある曲がり角を曲がった瞬間、女性の姿が消えたのです。
私は驚き、しばらくの間その場に立ち尽くしていました。彼女がいた方向を何度も見返すも、彼女の姿はどこにもありません。手には、彼女から受け取ったその黒い傘だけが残されており、その傘を握る手は、わずかに震えていました。
あまりの衝撃に「なぜ彼女は消えたんだ？なぜ私に傘を…？」立ち尽くし同じことだけを思考が繰り返していると、背後から不気味な声が聞こえてきました。
「傘、返してくれる？」
私は恐怖で凍りつき、振り返ることなくその場から走り出しました。雨が降りしきる中、全速力で。とにかく明るいところまで息を吸うのも忘れて走りました。
家にたどり着くまでの間、あの女性とその声で頭がいっぱいでした。それから、私はあの裏通りを避けています。今でも夜中に雨音を聞くたびに、あの不気味な声が耳元に返ってきます。「傘、返してくれる？」
コメント