血染めの着物の女
昭和12年、東京の下町。路地裏の古びた長屋で、駆け出しの小説家、田辺清は、新作の怪談小説の執筆に没頭していた。締め切りが迫る中、深夜まで机に向かっていた彼は、ふと窓の外に目をやった。向かいの長屋の二階に、ぼんやりと灯りがともっているのが見えた。
「こんな時間に、誰だろう?」
清は、好奇心に駆られて障子を開け、じっとその灯りを見つめた。すると、障子の影に、着物の女性の姿が浮かび上がった。それは、艶やかな黒髪を日本髪に結い上げ、白い着物をまとった、美しい女性だった。しかし、その顔は血の気がなく、目は虚ろで、生気を感じさせなかった。まるで幽霊のようなその姿に、清は恐怖で言葉を失った。
次の瞬間、女性はゆっくりと障子を開け、清に向かって微笑みかけた。その顔は、月の光に照らされ、青白く浮かび上がっていた。女性の口元は不気味に歪み、そこから覗く歯は、まるで獣のように鋭く尖っていた。
「お助けください…」
女性は、か細い声でそう呟くと、ふらりとよろめき、障子から身を乗り出した。清は、恐怖で身動きが取れなかった。女性の白い着物は、まるで血を吸ったかのように赤く染まり、その手は、まるで助けを求めるかのように、清に向かって伸びていた。
次の瞬間、女性の姿は消え、灯りも消えた。清は、恐怖で震えながら障子を閉め、布団に潜り込んだ。しかし、恐怖のあまり、一睡もできなかった。
翌日、清は恐る恐る向かいの長屋を訪ねた。しかし、二階には誰も住んでおらず、空き部屋になっていることがわかった。大家に話を聞くと、数十年前に、若い女性がその部屋で殺されていたという。大家は、怯えた様子で、その女性は、夫に惨殺された後、井戸に投げ込まれたという話を教えてくれた。それ以来、深夜になると、女性の幽霊が現れるという噂が、長屋内で囁かれるようになったという。
清は、あの夜の出来事を克明に記録し、怪談小説として発表した。それは、「赤い着物の女」というタイトルで、瞬く間にベストセラーとなった。しかし、清は、その後も悪夢に悩まされ続け、精神を病んでしまった。
数年後、清は、精神病院で息を引き取った。死の直前、彼は看護師に、あの夜の出来事を語り、「赤い着物の女はまだそこにいる。彼女は、助けを求めているんだ」と呟いたという。
清の死後、「赤い着物の女」は、都市伝説として語り継がれるようになった。そして、今でも、深夜になると、あの長屋の二階に灯りがともり、赤い着物の女が現れるという噂が、人々の間で囁かれている。
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