悪夢のビスクドール
アンティークショップ「夜想曲」の薄暗い店内には、古びた家具や装飾品が所狭しと並べられていた。オーナーの由美は、その日、オークションで落札したビスクドールを手に、期待に胸を膨らませていた。
人形は、19世紀フランスで作られた逸品だった。透き通るような白い肌、漆黒の髪、吸い込まれるようなサファイアブルーの瞳。その美しさは、まるで生きているかのような錯覚を覚えるほどだった。由美は、この人形に「エマ」と名付け、店の奥にあるガラスケースに大切に飾った。
数日後、エマを見た客たちが次々と奇妙な体験を口にするようになった。
「あの…ショーウィンドウの人形なんですけど、夜中に目が動いたような気がして…」
若い女性客が震える声で訴えた。由美は、客の気のせいだと慰めたが、同様の報告が相次いだ。ある者は、人形に触れた途端、手が勝手に動き出し髪を撫でられたと言い、またある者は、夢の中でエマに助けを求める声を聞いたと語った。
由美は、客たちの話を一笑に付すことができなかった。夜、閉店後に一人で店内に残ると、エマの瞳が月の光を反射し、不気味に輝いているように見えた。ガラスケースに手を伸ばすと、心臓が激しく鼓動し、得体の知れない恐怖が全身を駆け巡った。
ある晩、由美は悪夢にうなされた。夢の中で、エマはガラスケースから抜け出し、血走った目で由美に襲いかかる。その鋭い爪が由美の頬を切り裂き、血が滴り落ちる。由美は恐怖で絶叫し、目を覚ました。
冷や汗でびっしょりになった由美は、いてもたってもいられず、店の奥へと向かった。ガラスケースの前に立つと、心臓が破裂しそうなほど高鳴った。恐る恐るケースの中を覗き込むと、エマの姿はなかった。
「まさか…」
由美は震える手で、ケースの扉を開けた。すると、中には一枚の古い手紙が残されていた。
「私は自由になった。次はあなたの番よ。エマ」
手紙を読み終えた瞬間、由美の背筋に冷たいものが走った。店内を見回すと、薄暗い照明の下、エマの影が壁に伸びているように見えた。
「キャー!」
由美は悲鳴を上げ、店を飛び出した。しかし、エマの影は、まるで由美を追いかけるかのように、壁から壁へと移動していく。
「やめて!お願い、やめて!」
由美は泣きながら叫び、自宅へと逃げ込んだ。しかし、恐怖は収まらない。部屋の隅にエマの影が見え隠れし、まるで由美を嘲笑うかのように蠢いている。
耐えきれなくなった由美は、エマを処分することを決意した。人形を燃やそうと試みたが、火は一向に燃え広がらず、エマの体は黒く焦げるだけだった。
「なぜ…なぜ燃えないの!?」
由美は絶望的な叫び声を上げた。その時、エマの顔がゆっくりと歪み、邪悪な笑みを浮かべた。
「あなたは私から逃れられない。永遠に私のものよ。」
エマの声が、まるで地獄の底から響いてくるようだった。由美は恐怖で気を失い、そのまま意識が戻ることはなかった。
翌朝、由美の遺体は、自宅の床で発見された。顔には、無数の傷跡が残っていた。そして、エマの姿は、再びアンティークショップ「夜想曲」のショーウィンドウに戻っていた。
その美しい瞳は、まるで次の獲物を探すかのように、冷たく輝いていた。
コメント