侵食
都会の喧騒と失恋の痛手から逃れるように、絵梨は祖母の残した古びた山間の屋敷に移り住んだ。そこは、鬱蒼とした木々に囲まれ、昼間でも薄暗い静寂が支配する場所だった。
引っ越し当日から、絵梨は奇妙な感覚に襲われる。誰もいないはずの廊下で、誰かの足音が聞こえる。
夜中に、すすり泣くような赤ちゃんの声がどこからともなく響く。そして、何よりも恐ろしいのは、鏡に映る自分の顔だった。日に日に青白く、痩せこけ、まるで生気を吸い取られるように窶れていくのだ。
ある夜、絵梨は悪夢にうなされる。血まみれの赤ん坊が、無数の手で彼女を引きずり込もうとする。飛び起きた絵梨は、恐怖で震えながら、鏡を見る。そこに映っていたのは、血色の悪い、まるで別人のような自分の顔だった。瞳は虚ろで、生気のかけらもない。
絵梨は、この家から逃げ出そうとするが、体が鉛のように重い。足は根が生えたように動かず、声も出ない。まるで、何かに取り憑かれたように、彼女はただ怯え続けることしかできない。
絵梨は、この恐怖の原因を探ろうともしない。いや、探れないのだ。思考は凍りつき、ただただ、日に日に増していく恐怖に飲み込まれていく。彼女は、食事も喉を通らなくなり、眠ることもできなくなる。
数日後、絵梨の異変を心配した友人が、屋敷を訪れる。返事はない。友人は恐る恐る家の中に入る。
そして、友人は、変わり果てた絵梨を発見する。絵梨は、二階の窓辺に立ち、裏山の森を見つめていた。まるで人形のように、表情一つ変えず、ただ虚空を見つめている。
友人は、恐怖で叫び声を上げ、屋敷から逃げ出す。
その後、絵梨の姿を見た者はいない。彼女がどうなったのか、誰も知らない。
ただ、あの古びた屋敷には、今もなお、得体の知れない恐怖が棲みついているという。そして、時折、裏山から赤ん坊の泣き声が聞こえるという噂がある。
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