霧の中の遭遇
深夜、図書館での勉強を終えたA君は、霜が降りる寒い夜空の下で、バス停にぽつんと立っていました。息を吐くたびに白い霧が形成され、それが静寂に溶けていきます。時計は既に深夜を指しており、周囲は静まり返っていました。待ち望んでいたバスが来ると、それは予定にない番号を掲げ、ほとんど音を立てずに滑り込んできました。
バスの中に入ると、その異様な静けさと冷たさが、さらにA君の不安を煽ります。いつもと違うルート、番号、そしてこの静寂…。何かがおかしい。でも今更降りるわけにもいかず、A君は座席に腰を下ろしました。心の中では、この選択が正しかったのか、小さな疑念が渦を巻いていました。それでも、彼はこのまま無事に家に帰れることを祈るしかありませんでした。
バスが動き出すと、外の風景は徐々に変わり始め、霧が濃くなります。街灯の光さえも吸い込まれるようで、A君は自分が知るどの道からも離れていく不安を感じ始めます。初めて目にする景色、消えていく街灯の光、そして徐々に覆い尽くされる霧。これら全てがA君の心をざわつかせました。
しかし、真の恐怖は、バスが計画されたルートを逸脱し、名もなき廃墟に向かうときに訪れます。廃墟への道中、A君はバスの窓から外を見ようとしますが、霧はあまりにも濃く、外の世界をほとんど見ることができません。その霧の中から、ぼんやりと人影が現れるかと思わせぶりに消えるのを見て、A君の背筋に冷たいものが走ります。人影はあまりにも自然に消え去ったため、A君は自分の目を疑いましたが、その恐怖は確かなものでした。
更に、バスが廃墟へと近づくにつれ、何かが車体を叩く音が聞こえ始めます。まるで、無数の手がバスを取り囲んでいるかのよう…。その音は、まるで彼らをこの場所へと誘い込む何者かの呼び声のようでした。A君は運転手の姿を確認しようとしますが、運転席は奇妙な静けさに包まれ、運転手の姿は霧の中に溶け込んでしまったかのように見えません。
バスが最終的に停車したのは、かつて何か大きな出来事があったことを示唆する荒廃した建物の前でした。バスのドアが開くと、霧はさらに濃くなり、A君はその場所がただの廃墟ではないことを直感します。彼が足を踏み出した瞬間、遠くで聞こえるかすかな囁きが、この場所の恐ろしい秘密を暗示していました。
終点だと運転手に告げられた時、A君が降り立ったのは、かつて大事故が起こった場所でした。周囲を覆う霧はますます濃くなり、彼の視界を完全に奪いました。足元で霧が生き物のように動き、その冷たさが骨まで染み渡ります。
「ここはどこですか?」A君が運転手に尋ねました。しかし、運転手からの返答はありません。彼は再び問いかけます。「家に帰りたいんですが…」声は霧に吸い込まれるように消えていきました。
運転手は無言のまま、ただ静かにバスのドアを閉めると、バスは再び霧の中へと消えていきました。A君は何度か声を上げようとしましたが、言葉は霧の中で消失し、運転手の姿も見えなくなります。彼が立っているのは、人々が避けて通る、不吉な場所。運転手とのやり取りの中で、A君は何とか現状を打開しようと試みましたが、結局、とりつく島もなく、その場所に取り残されることになりました。
周囲を見渡しても、霧に覆われた廃墟以外には何も見えません。A君は一人、この不気味な場所で、次に何をすべきかを考えながら立ち尽くします。家に帰りたいという思いは強烈でしたが、霧の中では方向感覚も失われ、どこに進めばいいのかさえ分からなくなってしまいました。
絶望と恐怖の中、A君は霧を抜け出し、家への帰路を急ごうとしますが、携帯は圏外で一切の通信が不可能です。仕方なく、足を前に進め、来た方向を目指し始めました。しかし、霧の中での歩行は、彼が想像していた以上に困難でした。足元は不安定で、見えない手が彼を引き止めるかのように感じます。その時、耳元で再び犠牲者たちのささやきが聞こえ、彼の心をさらに深い恐怖へと引きずり込みます。
霧の中、A君は不意に何かにつまずき、そのまま意識を失ってしまいます。気がついた時、彼は見覚えのあるバス停のベンチに座っていました。夜はまだ深く、しかし周囲は先ほどまでの霧が嘘のように晴れ渡っています。A君は自分がどのようにしてここに戻ってきたのか、全く覚えていません。携帯を見ると、圏外の表示はなくなり、時間は彼がバスに乗る少し前を指していました。
混乱の中で、A君は自分が体験したことが夢だったのか現実だったのかを判断できずにいました。しかし、彼の体には霧の冷たさと犠牲者たちの声が残した痕跡がしっかりと刻まれており、それがすべてが現実の出来事だったことを物語っていました。
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