夏の終わりに
夏の終わり、私は友人たちと田舎の小さな集落を訪れました。その村は、山々に囲まれ、古い神社や静かな田んぼが広がる、のどかな場所でした。私たちは、その日開催される村祭りに参加するためにやってきました。村祭りは、地元の人々が一年に一度だけ行う大切な行事で、集落全体がその準備に余念がありませんでした。屋台が並び、夜空に灯る提灯の光が幻想的で、太鼓の音と笛の音が響き渡る中、人々の笑い声が絶えませんでした。
昼間の祭りは楽しく、まるで時間が止まったかのような、穏やかな夏の日でした。私たちは、子供の頃に戻ったように、焼きそばや綿菓子を手に取り、射的や金魚すくいに興じました。地元の人たちも、久しぶりの再会に顔をほころばせ、賑やかな雰囲気に包まれていました。
しかし、祭りが終わり、夜が更けるにつれて、村の雰囲気は徐々に変わっていきました。賑やかだった祭りの音が次第に遠のき、代わりに夜風の音だけが耳に残りました。その風は思いのほか冷たく、肌を刺すようでした。そして、どこからともなく、低く不気味な囁き声が聞こえてくるようになったのです。最初は風の音だと思っていたのですが、その囁きは次第に耳元で囁かれているかのように、はっきりと聞こえてきました。
「誰かが囁いている…?」そう思った私は周囲を見回しましたが、友人たちは祭りの余韻に浸り、談笑していました。私は友人に「何か聞こえなかった?」と尋ねましたが、「気のせいじゃない?」と笑って返されるばかりでした。しかし、その囁き声は私の耳から離れず、どこか不気味な予感が胸に広がりました。
その夜、私たちは村の古い民宿に泊まることにしました。その民宿は、江戸時代から続くと言われる由緒ある建物で、畳の香りがどこか懐かしく感じられました。しかし、私の心の中には、あの囁き声がまだ残っていました。
夜中、私は奇妙な夢を見ました。夢の中で私は、暗い田んぼの中を一人で歩いていました。月明かりに照らされたその田んぼは、まるで終わりのない迷路のようで、どれだけ歩いても出口が見つかりません。背後から冷たい風が吹き、足元に何か冷たいものが触れた気がして、私は慌てて下を見ました。
そこには、漆黒の影がうごめいていました。その影はまるで生きているかのように、私の足元に絡みついてきます。私は必死に振りほどこうとしましたが、影は逃がすつもりなどないかのように、ますます強く締め付けてきました。恐怖に押しつぶされそうになった瞬間、私は叫び声をあげて目を覚ましました。
目を覚ました私は、全身汗でびっしょりと濡れていました。部屋はひんやりと冷たく、窓の外には薄暗い明け方の空が広がっていました。しかし、その冷たさはまるで影がまだそこにいるかのように感じられ、再び眠ることができませんでした。心臓の鼓動が激しく、夢と現実の境界が曖昧になっているような感覚が続きました。
翌日、私はその夢のことを友人たちに話しましたが、誰も気に留める様子はありませんでした。「祭りの疲れだろう」と笑い飛ばされただけでした。しかし、その日の夕方、村の古老が私たちに近づいてきて、ぽつりとこう言いました。
「昨夜、夢に出てきた影から逃げられたか?」
その言葉に背筋が凍りつきました。私の夢を知っているはずのない古老の目は、まるで私の心の中を見透かしているかのようでした。私が何も言えずにいると、古老は静かに言い残して去っていきました。
「夏の終わりには、影が彷徨う。祭りの後にやって来るその影は、迷える魂を連れ去るために現れるのさ。」
その言葉が頭から離れませんでした。あの夢が何だったのか、あの影が本当に存在したのか、私には今でも分かりません。ただ、夏の終わりが近づくたびに、あの冷たい影が再び私を訪れるのではないかという不安が、胸の奥底に広がるのです。
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