夏の夜、囁く声
大学生の夏美は、夏休みを利用して田舎の祖父母の家に遊びに行くことにした。そこは、山奥にあり、昔ながらの風情が残る小さな村だった。家は築百年以上の古民家で、木の軋む音や、風が隙間から吹き込む音が絶えず響いていた。それでも、夏美はその静けさと、都会では感じられない自然の豊かさを楽しんでいた。
ある蒸し暑い夜、夏美はいつものように蚊帳を張り、窓を少し開けたまま寝ることにした。田舎の夜は真っ暗で、月明かりだけが部屋をぼんやりと照らしていた。その静寂の中、ふと、何か異様な気配を感じた。目を閉じて眠ろうとするが、どうしても気になる。
その時、部屋の隅から微かな声が聞こえてきた。「助けて…助けて…」という、かすれた、しかし切迫した声だった。最初は風の音が紛れ込んだのだろうと思ったが、何度も耳をすませると、それは明らかに人の声であり、何かを訴えているようだった。夏美は恐怖を感じながらも、布団を頭までかぶり、無視しようと試みた。
しかし、声は徐々に強く、そしてはっきりと聞こえてくる。「ここだ…ここにいる…」と、その声は夏美に直接語りかけてくるようだった。恐怖心が増す中、夏美はゆっくりと布団の端をめくってみた。目を凝らすと、部屋の隅に人影のようなものが立っているのが見えた。それは、髪が長く、白い和服を着た女性のように見えたが、顔ははっきりと見えない。影はゆっくりと夏美に向かって歩み寄り、冷たい手が夏美の肩に触れた瞬間、全身に鳥肌が立った。
その瞬間、何かが夏美の耳元でささやく。「私はここで死んだ…誰にも見つけてもらえなかった…」冷たい風が吹き抜け、窓がガタガタと揺れた。夏美は恐怖で声を出すこともできず、そのまま固まってしまった。
翌朝、顔色の悪い夏美を見た祖母が心配そうに尋ねた。「何かあったのかい?」夏美が昨夜の出来事を話すと、祖母は重い表情で言った。「この家には昔、女中が住んでいて、ある日突然行方不明になったんだ。誰も彼女を見つけることはできなかったけど、彼女はまだここにいるんだよ。夏の夜は特に彼女の魂が彷徨うと言われている。絶対にその声に答えてはいけないんだ」
夏美は震えながらその話を聞いた。その後、夏美は二度とその声を聞くことはなかったが、夜になると部屋の隅を決して見ないようにした。窓から吹き込む風が、再びその声を運んでくるのではないかと、今も怯え続けている。
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