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【怖い話|短編】幽踪

幽踪
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幽踪

数年前の夏、家族で訪れた山奥の温泉旅館でのことです。

その旅館は古い木造建築で、歴史を感じさせる風情ある造りでした。チェックインの際、古びた受付で出迎えた女将が、にこやかな笑顔を見せながらも、どこか影のある表情だったのが少し気になりました。部屋に案内されると、畳の香りが漂う和室で、窓からは緑深い山々が一望でき、素晴らしいロケーションでした。

山奥の温泉旅館到着

家族全員、これからの休暇に期待を寄せ、夜は温泉を楽しんだ後、早めに寝ることにしました。

その夜、ふかふかの布団でぐっすり眠るはずでしたが、ふと夜中に目が覚めました。時計を見ると、まだ午前2時。周囲は静まり返り、家族全員が隣で眠っています。

夜中に目覚める

私は寝返りを打とうとした瞬間、なぜか全身が急に重く感じ、布団に縛り付けられたような感覚に襲われました。全く身動きが取れず、体の上に何か重いものがのしかかっているような圧迫感がありました。

そして、部屋の隅に目を向けると、薄暗い光の中に、何か黒い影が立っているのに気づいたのです。

最初は錯覚かと思い、まばたきをして再確認しましたが、その影は消えません。明らかに人の形をしていて、動かずじっとこちらを見つめているようでした。

影が現れる

その瞬間、冷たい汗が背中を流れ、心臓が高鳴りました。私は恐怖に支配され、声を出そうとしましたが、喉がひどく乾いていて、言葉が出ません。ただただ、目の前に立つその影から目が離せず、息を潜めていました。影はゆっくりと動き始め、音もなく部屋の中を歩き回るように見えました。歩く音が全くしないのがかえって不気味で、ますます恐怖が増していきます。

影は次第に私の方に近づいてきました。

ベッドの脇に立ち止まると、その影は私の顔のすぐ横に立って、こちらをじっと見下ろしていました。全身が凍りつき、呼吸もできないほどの恐怖に襲われました。まるで影に捕まえられたように動けず、目を閉じることすらできませんでした。

その影が何をしているのか、何を考えているのかは分かりません。ただ、そこにいるという存在感が圧倒的で、私の思考はすべて停止してしまいました。時間がどれほど経ったのか分からないほど、恐怖に囚われていたその瞬間、突然、影がスーッと消えていったのです。

影が近づいてくる

まるで存在しなかったかのように、影は跡形もなく消え去り、部屋には再び静寂が戻りました。

恐怖で全身が震えているのを感じながら、私はなんとか布団から体を起こし、周囲を確認しました。家族は皆、何事もなかったかのように眠っており、ただ私一人だけがこの異常な体験をしているようでした。布団に戻りたくても、どうしても眠れず、窓の外を見つめながら夜が明けるのを待ちました。

朝になり、私は昨夜の出来事が何だったのか、自分の頭の中で整理しようとしましたが、夢とも現実とも区別がつきませんでした。しかし、あの影の存在感、恐怖感は忘れることができず、まるで現実のもののように感じました。家族には何も言わず、朝食をとりましたが、心の中ではあの出来事がずっと引っかかっていました。

その後、旅館をチェックアウトする際、何気なく昨夜のことを思い出し、女将に「この旅館、古いですけど、昔何かあったんですか?」と軽く聞いてみました。女将は少し困ったような表情を浮かべ、一瞬言葉を詰まらせましたが、静かにこう話してくれました。

朝の旅館と女将の話

「実は、この部屋で数十年前にお客様がお亡くなりになったことがありましてね。その方、体調が急に悪くなって…その後、時々あの部屋で不思議なことが起こると言われているんです。」

女将の話を聞いた瞬間、私の背中に再び冷たい汗が流れました。あの夜、私が見たものはその亡くなったお客様の魂だったのかもしれません。部屋を出た後も、その影の記憶は鮮明に残り、旅館を後にする時まで消えることはありませんでした。

この出来事以来、私は古い旅館に泊まることが少し怖くなり、家族旅行でも慎重に宿泊先を選ぶようになりました。それでも、あの夏の夜に感じた恐怖は、今でも忘れられない記憶として心に刻まれています。

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