背中で囁くなにか
友人が亡くなってから、私はしばらく彼の家を訪れることがありませんでした。
どうしてもその家に行くたびに、彼の存在を感じてしまい、胸が締め付けられるような思いになるからです。しかし、ある日彼の母親から連絡があり、どうしても話したいことがあると言われました。
私も友人のことを忘れるわけにはいかず、彼の家へ向かうことにしました。
久しぶりに訪れた家は静かで、どこか重い空気が漂っていました。彼の母親は私を見ると少し微笑んだものの、その表情はどこか陰りを帯びていました。
お茶を出してくれた後、彼女は深いため息をつき、ポツリと話し始めました。
「あの子が亡くなる前に、私が話したことがあるの。聞かせたくなかったけど、どうしても言わなきゃいけない気がしてね…」
私は驚きました。
彼女が何を話そうとしているのか全く見当がつかなかったからです。彼女はしばらく目を伏せていましたが、やがてその話を語り始めました。
彼女がまだ若い頃、夜になると背中に何か重いものを感じることがあったそうです。最初はただの疲れだと思い込んでいたそうですが、その重みは日に日に強くなり、ついには息が詰まるような感覚を覚えるほどになりました。
ある夜、寝ている最中に突然目が覚めた時、背中に冷たく重い感触が広がっているのを感じました。恐る恐る振り返りましたが、何も見えません。ただ、冷たい空気だけが背後に漂っていたといいます。
「その時、背中から小さな声が聞こえたの。『もう時間だ』って、誰かが囁いたのよ」
彼女は息を飲み、声を震わせながら話し続けました。
その声が聞こえた直後、彼女は不安に駆られ、眠れなくなってしまいました。それから数日後、彼女の親しい友人が急死したのです。心臓発作だったそうですが、彼女はその出来事を「背中の声」と結びつけずにはいられませんでした。
それ以来、彼女は「背中の重みは、誰かの死を知らせる前兆なのではないか」と思い続けていたそうです。
「あの時、話すべきじゃなかったのかもしれない。でも、どうしても心配で…」
彼女がその話を息子にしたのは、彼が疲れた様子を見せていた頃だったそうです。背中の痛みを訴えることが多くなり、不安を感じた彼女は、自分の体験を話してしまったとのことでした。
「その後、あの子も背中が重いって言い出したの。それからしばらくして…」
彼女の話が終わる前に、私は既に友人の事故を思い出していました。
彼が亡くなったのは、その話を聞いた後、ほんの数週間後のことでした。彼は交通事故で命を落としましたが、私の中で、その事故が単なる偶然だとは思えなくなっていました。彼の母親も、同じ思いを抱いているのは明らかでした。
「私は…あの話をしなければ、あの子は今でも生きていたのかもしれない…」
彼女の震える声と涙を目の前にして、私も何も言えませんでした。
彼の死因はおおやけには事故とされていましたが、その話を聞いた後では、彼女の背中に感じた重みが何を意味していたのかが、どうしても頭から離れませんでした。
それ以来、私も時折、背中に何か感じるようになってしまったのです。
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