時計屋の遺言
昔、時計屋をやってたんだ。
自慢じゃないけどね、町ではそこそこ名の知れた店だったんだ。センスの良い人はみんな私の店に通ってた。いや、店に通う人がセンスが良いと言われたんだな。誰が言い出したのか知らないが、まったく有難い話しだ。
だが、店が繁盛すればするほど、家族とはほとんど同じ時間を過ごせなかった。特に息子とは、ほんとにろくに話したことなんてなかったよ。片腕におさまるほど小さく生まれたあの日「なにがあってもこの子は私が守る」と決めたのに、時間というのは薄情なものだ。
息子が小さい頃、店のことで忙しくてね、運動会や学芸会、彼の大事な行事にも一切顔を出せなかった。家族のために仕事で一生懸命稼ぐことが幸せになるための手段だと思い込んでしまってたんだ。彼が「パパ、一緒に遊ぼうよ」と言っても、「ごめん、今忙しいんだ」と言い続けた。今になって、あのがっかりした顔が胸を締め付ける。
あっという間に息子は大きくなり、家を出て行った。
連絡を取ろうと思っても、何を話していいか分からなくて、結局何もしなかった。自分の仕事に追われる日々に、家族と過ごす時間の大切さを忘れていたんだ。
私も年を取ってね。店を閉める頃になって、ようやく息子との時間を失ったことの重さを感じ始めた。なんのためにやってきたんだ。誰のためにやってきたんだ。ってね。結局誰のためでもないよ。家族を犠牲にして自分のためにそうしていたんだね。
でも、もう遅かった。病に倒れた時、息子に会いたいと思った。けど、連絡する勇気が出なかった。自分のプライドが邪魔をしたんだ。プライドなんか捨ててしまえと思うだろう?それが出来てたら、もっと家族に向き合えていたんだと思う。
病床に横たわりながら、息子の幼い頃の笑顔、一緒に遊びたがっていた姿を思い出すと涙が止まらないんだ。息子に対して何もしてやれなかった自分の無力さと、過ごせなかった時間への後悔で胸がいっぱいになった。
あの時、もっと家族のために時間を作っていればと思うと、後悔の涙が止まらない。なぜ私はこんなにも無力なのか。
仕事が忙しいからと家族を犠牲にしてはいけない。それが俺が伝えたいことだよ。家族の大切さ、今になって痛感している。
コメント